おみそコラムcolumn
日本の文化を見直そうVol.17〜相手を思い出し、近況を認(したた)める_、暑中見舞いとは、そんな意味から送るもの〜
中元と暑中見舞いは、混同しがちだが…
電子メールが一般的になり、年賀状や暑中見舞いを出す人がグンと減った。電子メールは今様で、しかもすぐ届くのでいいのだが、何となく味気がなくなっているように思う。個人的な話で申し訳ないが、この2〜3年で「年賀状を送るのをやめました」との声が私のところにもよく聞こえて来るようになった。私個人に届く年賀状をよく見てみると、その大半がもう何年も会っていない人からのもので、中には小学生時代の恩師や友達のものもあり、彼らとは半世紀近く会っていないのに、ハガキ一枚で繋がっていたことがわかる。メールは、日頃から付き合いのある人とのやりとりが多いので、年賀状の重要さを改めて実感できるのだ。
年賀状ではないにせよ、この時期はやはり暑中見舞いのやり取りが目立つ。暑中見舞いと中元を混同して考える人が多いのだが、実はこの二つは関連性が高い。そもそも中元とは、道教の「三元」から来ており、中国の旧暦で7月15日の中元に、仏教行事である盂蘭盆会(うらぼんえ)が行われていたことに因している。目連尊者(釈迦の弟子)が地獄に落ちて苦しむ母を救うために7月15日に百味を盆に盛って供養したところ母を救うことができたとの言い伝えがあり、その盂蘭盆会が中国から伝わり、606年に斎会と呼ばれる行事が始まった。そして中元と盆が結びつき、贈り物をやり取りする習慣が芽生えたのだ。かつては、子が親に魚などを贈り、盆礼では素麺や米、塩鯖を贈答品として手渡す習慣があり、これらが合わさって日本の中元のスタイルができあがったとされる。一方、江戸期には、遠方の人に飛脚便で書状を送る習慣もあったようだ。日本の郵便制度は明治6年に始まるのだが、この時期からは贈答の習慣が簡素化され、暑さを気遣う手紙を送るのが目立って来た。どうやらこのことが暑中見舞いハガキの始まりのようで、大正期になるとそれが見事に定着している。
暦を見ると、梅雨が明けて暑さ厳しくなる頃を「小暑」といい、7月7日頃がそれにあたる。暑さのピークは「大暑」で7月23日頃。「立秋」は秋の始まりを指し、8月7日頃をいう。8月23日頃には「処暑」となり、穀物の収穫が近くなる頃で台風も多くなって来る。では、暑中見舞いはいつ出すのがいいのか。これは地域によって若干の差が生じる。下記の表は、地域ごとに暑中見舞いを送る日を表したものだ。
北海道7月中旬〜8月15日
東北・関東7月初め〜7月15日
北陸7月初め〜7月15日と
7月初め〜8月15日に分かれる
東海・関西・中四国7月中旬〜8月15日
九州8月1日〜8月15日
沖縄旧暦の7月15日

 

とは言え、今では地域に関係なく、梅雨明けから立秋までに暑中見舞いを送るのが一般的とされ、それを過ぎると、残暑見舞いとなるのだ。但し、残暑見舞いとて8月31日迄に届くように送らないといけない。それをも過ぎてしまうと、書き出しは「秋晴れの候」となり、通常の手紙扱いになってしまう。
書き方については、「暑中お見舞い申し上げます」とまず書き、時候の挨拶と相手の健康を気遣う言葉を認(したた)め、さらに近況を記し、結びの挨拶にするのがいいそうだが、私はそんな堅苦しさよりも、自分の近況を書いて相手に知らせるだけでいいと思っている。そうでもしなければ、暑中見舞い自体が面倒に思えて、出す人が減少するからだ。要は、時節の挨拶代わりになればいいのである。これは暑中見舞いに限って指摘するものではないが、私は感謝を表現するのに「ありがとうございました」とは決して言わない。なぜなら感謝は過去形ではなく、未来にもそう思わないといけないからだ。なので「ありがとうございました」は、すでに過去のものとなっており、今から先(将来)にかけてはそう思ってないことを意味してしまう。だから「ありがとうございました」ではなく、これから先も感謝を示す意味で「ありがとうございます」が正しい表現法なのである。

ところで、中元をうっかりして贈り忘れたなら、手みやげを渡すのはどうだろう。手みやげとは、厳密には“人を訪問する時に、持って行く、相手にちょっと渡すもの”の意味だが、遠方の人には送るのでもいいと思う。要は、相手を気遣う気持ちの表れとして品を贈るのが本来の目的なのだから。ちなみに手みやげについては、その文化を根づかせようと「六甲味噌製造所」では、その商品セットを風呂敷包み風にして提案しているし、私もその手のコラムを書いている。興味のある人は、「日本の文化を見直そうVol.16」を参照あれ。(2022/7/14)
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)