江戸時代に「豆腐百珍」という本がベストセラーになるが、これは今でいう豆腐のレシピ本。当然、この中にも豆腐田楽は紹介されている。百珍ものとしては、幕末の弘化3年(1846年)に「菎蒻百珍」が出版されている。豆腐同様、こんにゃくも色んな料理法があったことからこの本が出たと思われる。こんにゃく田楽が流行ったのは、元禄期ではないか。こんにゃく料理は、江戸庶民の好みだったようで、こんにゃく田楽も瞬く間に江戸市中に広まったのだろう。こんにゃくといえば、茨城県の久慈のものが有名で、水戸藩では専売品として財政を支えていた。こんにゃく芋を粉末にする手法ができてから全国的に栽培されるようになる。それを考えたのは、水戸藩中にいた中島藤右衛門。かつてこんにゃくは腐りやすく、重いので遠くまで売るのが難しかった。ところが中島藤右衛門はこんにゃくの生芋を薄く輪切りにして串に刺し乾燥させて砕いて粉にする方法を考えついたのだ。かくして軽くなって貯蔵もしやすくなり販路が増拡大。製粉化によって今日の礎が築かれている。