おみそコラムcolumn
ニッポンの文化を見直そう8 ~江戸のブームが今に伝わる初鰹~
春になると、鰹や鰆が食卓を賑わすのはなぜ?
 春は一年の始まりのような季節で、寒い冬が終わりを告げ、草木も芽吹き出すと同時に人も積極的に外に出るようになる。この時季は、昔から初ものづくし。東へ上り始める鰹しかり、桜の季節とともにうまくなる桜鯛しかり、瀬戸内へ産卵のために入って来る鰆しかりで、とにかく今年の初ものを食べようとグルメ達が躍起になるようだ。
 日本は食の流行にあざとい国で、初ものを尊ぶのは、何も今に始まったことではない。江戸時代の文化年間にすでに今の初鰹のブームが始まっている。文献によれば、文化2年(1812)3月25日に入荷した日本の鰹が凄い値がついている。17本の内訳は、6本が将軍家へ、8本が市中の魚屋が仕入れ、3本が料理屋の八百膳に行っていたのだが、その値段が上がりに上がって一本2両1分~3両ぐらいだったというから、今の価格にすると、鰹一匹が10万円ぐらいになったのではなかろうか。このブームに、当時人気だった歌舞伎役者が便乗して買い出したもんだから余計にヒートアップした。歴史に残る初鰹騒ぎがそれで、目の飛び出るような価格(2両や3両)で魚が落札されていった。
 初もののブームは、何も初鰹騒ぎが最初ではない。慶長期(1569~1615年)に初鮭がもてはやされるようになり、ブームを起こしているのだ。初鮭ブームには水戸光圀(水戸黄門のこと)が関わっている。黄門様は鮭好きで、那珂川にあがると初鮭振る舞いと称して宴を開いたそうだ。
 日本は古来より初ものを尊ぶ文化がある。初ものには魂が宿り、縁起がいいと伝えられていたからだ。そして初ものを食べると寿命が延びるとさえ信じられていた嫌いがある。食は生きるために存在する。それが充たされて来ると、美味を探求し始め、今でいうグルメが幅を効かし出す。現在でも我々は、初鰹をありがたがっているが、このルーツが江戸・文化期の初鰹騒ぎに端を発していることを意外と知らない。

 元来、鰹は旬が二回あるといわれ、その一つが初鰹で、もう一つが戻り鰹となる。この魚は3月頃に九州の方から黒潮に乗って北上し、8月に北海道の南まで行く。するとUターンして産卵に備えて南下して行くのだ。北上する途中を初鰹と尊び、南下するものを戻り鰹と称す。さっぱりした味わいの初鰹より断然脂の乗った戻り鰹の方が旨いはずなのに人々はなぜか初鰹を美味な例として挙げたがる。そこには江戸時代の初鰹ブームが根底にあるから今でもそうなってしまうのだろう
 春と秋とで旬が二つありながら、やはり春のものを尊ぶのが鰆。鰆は回遊魚のために地域によって旬は異なる。晩春から初夏にかけて鰆が大量に瀬戸内へ押し寄せて来る。目的は産卵で、波おだやかな瀬戸内で卵を産み落とすのだ。偏に春と書くのもこんな習性があるため。古くは京都や奈良、大和に都があったので鰆なる文字が生まれたのではあるまいか。関東では、12~2月にかけて脂が乗った鰆を好む。寒鰆なる言葉は、むしろ江戸で生まれたものだろう。 
 私としても春の鰆より、秋から冬にかけての鰆の方が旨いと思っている。なのに多くの人に「鰆の本当の旬は寒くなり始めてから」なんて言ったところで、通用しないのだ。これまた昔の上方の文化が影響を与えている証拠である。鰆といえば、身が弱い魚であることが知られ、刺身を出す所はめったにない(実は鰆は造りが旨いのだが…)。よく知られているのは、やはり味噌漬けや味噌焼き。ここは春の魚を堪能すべく、鰆の味噌漬けをおかずに一杯飲りたいものだ。 (2020/3/16)
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)
<著者プロフィール>
曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。