おみそコラムcolumn
ニッポンの文化を見直そう6 正月の雑煮は、歴史的事情が詰まっている
正月の雑煮は、歴史的事情が詰まっている
 正月の料理は、おせちと雑煮。近年、おせち料理は百貨店や料理屋の定番アイテムとなってしまったからか、自宅で作るより、プロが作ったものを買う傾向が高まっている。そうなって来ると、自宅での正月料理といえば雑煮ぐらいしかなくなってしまうのだ。

 では、雑煮とは、いったいどんなものなのか?椀に餅と具材が入っていて関西では白味噌仕立てが主流となっている。ところが雑煮自体の定義に確かなものがなく、何となくそんなふうに作っているのが本音だろう。雑煮は、室町時代の文献にすでに登場している。その語源は「煮雑(にまぜ)」で、これは色んな具材を煮合わせたものとある。つまり雑煮=具材を入れて煮込んだ料理を指すのだ。

 なぜ雑煮が正月料理に定着したのか?室町時代の武家の宴会では、まず煮雑(にまぜ)が出て来てそれを食べないと宴が始まらなかった。まず腹ごしらえをしてから一杯という意味かもしれない。この宴のスタイルに倣って一年の始まりとなる正月に雑煮が食べられるようになったのだとか。昔は新年を迎えるのに歳神様(としがみさま)に餅を供え、そのおさがりとして餅を入れて雑煮を作った。室町時代ではまだまだ餅が高価なものだったのだろう、江戸時代までは里芋をその代わりにしている。
 今でこそ日の出が一日の始まりだが、昔は日の入りを一日の始まりと考えた。大晦日に餅を供え、日が昇るとともに餅をおさがりにしてもらい食べたのである。基本的には和食のルーツの多くは室町時代なのだが、まだまだ食文化は薄く、貴族のみの文化を主にしている。それが江戸時代に一般にも醤油や味噌が広まり、料理が多様化していく。江戸時代になって里芋でなく、餅を入れ始めたのもそんな背景がある。

 今でも関西は丸餅で、関東は角餅とされているが、これも江戸時代の影響であろう。関西では、円満を意味することから縁起のいい丸餅が好まれた。ところが一気に人口が増加した江戸では一つ一つを手で丸める作業が面倒になってしまい、角餅を使い出した。敵をのすとの意味から武家は四角いのし餅を好んだともいわれているが、どうやら本音は人口が多すぎて丸く成形する暇がなかったからだと思われる。

 味についても地域差がある。関西は白味噌仕立てで、関東はすまし仕立てになっている。白味噌は早く製造できる点と、大豆が穫れず米が多くできる関西に素材的にもぴったりだった。そして京から発せられた白味噌仕立ての文化に周辺の国々が右へ倣えとしたようだ。関東はミソをつけると嫌い、醤油で作るすまし仕立てを好んだそうだが、これとて背景に醤油の産地・野田や銚子があったからに違いない。
 具材についても決まり事がないとしたが、やはりその土地土地の産物を入れることが多い。新潟では鮭やイクラが、広島はカキ、島根は蛤が入っている。葉物類を入れるのは、名(菜)を持ち(餅)上げるの意味からで、赤いにんじんは魔除けに、子芋を沢山つけるのことから里芋を入れる。こうしてみていくと、日本人は昔から駄洒落好きなのかもしれない。
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)

<著者プロフィール>
曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。