おみそコラムcolumn
ニッポンの文化を見直そう1 上巳の節句がいつしか女の子の祭りに―

上巳の節句がいつしか女の子の祭りに―

「灯りをつけましょ、雪洞(ぼんぼり)に―」。これはおなじみの「うれしいひなまつり」の歌詞である。この唄は作詞がサトウハチロー、作曲が河村光陽で1935年に作られた童謡。以前のように人形屋が隆盛の時代にはCMなどで流れ、度々耳にしていたが、今では雛祭り用にと人形を求める習慣が薄れたためか、この唄も聞く機会が減ったように思う。

 

そもそも雛祭りは、女の子の節句として始まったものではないようだ。ルーツは定かではないのだが、上巳の祓いとして定着したものだと思われる。戦国時代までは男女問わず行われていたとも伝えられるし、平安貴族の間では子女の遊びごととして行われたとの記録もある。それが儀式化するのが江戸時代に入ってから。五節句の一つとして上巳の節句を雛祭りとしたために、やがて端午を男の子に、上巳を女の子のお祭りのようにして行うようになり、今がある。

 

ただ、旧来の雛祭りは陰暦の3月3日で、現在の4月上旬を指していた。その時季は桃の花が咲いていたので、雛祭りを桃の節句と呼んでいる。そのため桃花酒を飲む習慣があった。この桃花酒が白酒となり、甘酒に変化していくのだから、グレゴリオ暦の3月3日ではつじつまが合わなくなってしまう。

 

 そんなことはさておき、なぜ雛祭りに甘酒を飲むようになったのか?その由来となる桃花酒とは、清酒に桃の花を浸したものをいう。中国では桃は縁起のいい食べ物で、不老長寿の力があるとされた。そこから日本でも百歳(ももとせ)に通じるといわれ、これを飲むと万病を祓うと好まれた。これがいつしか桃の花色と白酒の色が同じように考えられ始め、雛祭りには白酒がつきものになっていく。白酒は甘酒ではない。蒸したもち米にみりんや米麹などを混ぜて熟成させた後にすりつぶしたもの。白く濁っており、当然アルコール度もある。だから子供の飲むものでは決してないのだ。

 

 甘酒は、どぶろくに似て濁っており、米麹と米、または酒粕を原料に造られる。一夜酒と呼ばれたりしていたが、昔は栄養ドリンクのように活用された。俳句では甘酒が夏の季語になっているように、夏バテを防ぐ意味から好まれた物であろう。甘酒には米麹から造るものと、酒粕から造るものとがあるが、米麹からであればアルコールは含まれない。白酒がアルコールを含み、なめるように飲むものだったのに対し、流石に女の子の節句なのだからアルコールがあってはおかしかろうと、甘酒が雛祭りの飲み物に定着していったようだ。

 

 雛祭りの食として甘酒とともにあるのが雛あられだ。これには菱餅が影響している。菱餅を食べること自体は、上巳の節句とともに中国から伝えられた。赤・白・緑の三色餅で、赤は先祖を尊び、厄を祓う。白は清浄さ、緑は母子草の草餅から連想して穢れを祓う若草にたとえた。この菱餅を食べやすくしたのが雛あられであるというのが有力説。雛あられは、桃・緑・黄・白になっていて四季を表す。一年を通じて幸せを祈るとの意味が込められている。節分の豆まきがいつしか恵方巻に取って変わられたように、雛祭りが昔ほど盛んに行われないのも嘆かわしいこと。せめて3月3日に甘酒を飲むことだけは貫きたいものである。

(文/フードジャーナリスト 曽我和弘)

 

<著者プロフィール>

曽我和弘

廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。